ひつじ村の兄弟

 行間を読ませるタイプの映画なので、人によっていろいろな解釈ができそうなところですが、私としてはこれは近親間での同性愛を扱った映画だと思いました。

 映画の結末で兄が意識を失った弟を裸で抱きしめて「もう大丈夫だからな」と囁く場面になって、私は初めて「ああそうか」と思い至ったのですが、それまでのシーンのあちこちで、同性愛が暗示されています。
 兄弟とも高齢なのにずっと独身であり、「なぜあなたは独身なのか」とはっきり質問された弟が、「村には女性が少なくて…」などと言いよどむシーンがありますが、これは虚偽の理由であって、弟には本音を隠す必要がある後ろめたさがあったため、はっきりと答えられなかったわけです。なぜ結婚しなかったのか、本当の理由は兄を愛していたからです。

 兄弟とも羊に大変な愛情を注いでいるように見えますが、なぜそんなに羊を愛するのかといえば、羊が兄弟にとってお互いの代理物だからです。弟が自宅に隠した自慢の雄羊を、雌羊と番わせて喜ぶというグロテスクなシーンがありますが、これを見て私はクローネンバーグ監督の「イースタンプロミス」という映画の一場面を連想しました。そちらのネタバレにもなるので恐縮ですが、それは自分が同性愛者であることを必死で否認しながら、主人公(男)に恋をしているマフィアの跡取り息子が、主人公に女を抱かせて、その様子を鑑賞しながら自らの性的欲求をひそかに満足させるというシーンです。女を抱くのを見守ってやる、というある意味ではマッチョといえなくもない状況であり、そこでは同性愛を否認しながら同性愛的な性的満足を得るという、矛盾した欲望が満たされているわけです。「ひつじ村の兄弟」のほうでは、欲望の対象である男が、さらに羊に代理されているわけで、二重に否認が働いているといえます。
 そこまで否認しなければならないのは、弟の抱いている欲望が同性愛というだけでなく、さらに近親相姦でもあるからです。兄弟の仲は一見非常に険悪ですが、それはお互いの感情を過剰に否認しなければならないためであり、その一方で実際は隣同士という近距離で、お互いの代理物である羊を愛で、ひそかに愛を通わせています。そして村に蔓延した疫病と、それに伴った羊の殺処分は、世間からの兄弟の同性愛に対する非難と迫害の象徴ではないでしょうか。兄の羊が罹患しているという事実に、獣医でさえ気がつかなかったのにもかかわらず弟が真っ先に気づくことができたのは、まさに蛇の道は蛇というように、自分と同じ背徳的なやりかたで兄が羊を愛しているという事実を発見できたからです。

 病気の羊≒同性愛の兄弟であって、弟が獣医たちがやってくるよりも先に、自ら羊たちを殺処分したのは、「私は同性愛者ではない」という世間に対するアピールであって、目くらましでもあります。弟が世間から愛する羊を隠したのは、兄を愛しているという事実を隠したのと同じことであると思います。

 兄の方は、弟よりもやや情熱的に、弟を愛しているように思えます。兄の羊が疫病に罹患していることを弟が当局に通報した時に、兄がなぜあそこまで怒り狂ったかといえば、愛する人に袖にされたと思ったからです。かたくなに羊の殺処分に抵抗したのは、弟に対する愛を曲げないという意思の表れであり、酔っ払ってわめきちらし、弟の家の前で自暴自棄に昏睡した兄の姿は、あからさまに絶望的な求愛の姿を示していると思います。

 映画の終盤で羊を逃げさせるという名目で山に入ったのは、実は兄弟にとって愛の逃避行だったわけです。それまで「羊、羊」といっていたのが嘘のように、あっさりと羊がどこかへ消えてしまったのは、その時点で代理物であった羊が不要になったからです。世間から逃走し、死を目前にして、初めて二人はじかに相対し結ばれることができたわけです。「もう大丈夫だからな」と兄が囁くのは、弟が兄よりも世間におびえて、隠蔽を施し、兄からも自ら距離を取っていたからではないかと思います。

 また原題が『 HRÚTAR』、英語で『RAMS』であり、そこからなんとなく連想されるように、この映画の羊には「贖罪の羊」というイメージも付与されていると思います。レビ記の贖罪の羊においては、本来罪とは無関係である羊に、人間が自分たちの罪を背負わせて神に奉げ、罪を贖うということになっています。

 そして兄弟が羊をお互いの代理物としているということは、そこで自分たちの同性愛という罪を、無垢な羊に転嫁しているともいえるわけです。そう考えると羊たちを山に連れて行ったのは、贖罪の羊を神に捧げに行ったとも解釈でき、「もう大丈夫だからな」という兄のセリフは、神に罪を贖ったことを示しているともいえそうです。

 

 私としてはこれは純愛映画であって、話の筋立てとしては、老人かつ近親相姦かつ同性愛という性質のために多重に隠蔽を施されたという点を除けば、ロミオとジュリエットと同じであると思います。「ひつじ村の兄弟」という牧歌的なイメージに反して、背徳的ですが、なかなか面白い映画だと思いました。